このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
伊藤左千夫の歌碑
久々に家歸り見て故さとの
|
|
今見る目には岡も河もよし
|
成東は伊藤左千夫の町。
JR総武本線成東駅上りホームに伊藤左千夫の歌碑があった。
久々に家歸り見て故さとの今見る目には岡も河もよし
昭和58年(1983年)11月3日、成東町歴史民俗資料館友の会建立。
伊藤左千夫
元治元年(1864年)、現
成東町殿台
に生まる。名は幸次郎。上京、本所区(現墨田区)に
牛乳搾取業
を営む。明治33年以来、作歌を
正岡子規
に学ぶ。子規没後、根岸短歌会の中心として雑誌『馬酔木』『アララギ』の発行に当る。
島木赤彦
、
斎藤茂吉
、古泉千樫、中村憲吉、
土屋文明
等其の門に出づ。作歌の外『萬葉集研究』等の歌論及び『野菊の墓』をはじめ小説の作あり。総て『左千夫全集』9巻に収めたり。
大正2年(1913年)7月30日、現江東区大島町に於て没す。
碑刻の歌は明治39年の作。門人土屋文明抄書せり。
『馬酔木』(明治39年5月23日)「埴岡短歌會三月歌會」に、「成東舘即事」の題詞で掲載。
昭和20年8月13日、敵機グラマンの攻撃を受け、成東駅構内下り1番線に停車中の軍弾薬積載貨車は11時40分火煙を発した。之を認めた国鉄職員15名、将兵27名は、被害を最小限度に止めようと、機を失せず身を挺して貨車の隔離消火に努め、一方乗客及び町民を避難させたが、必死の健闘も空しく11時58分弾薬は遂に爆発して、全員悉く壮烈な最期を遂げ、平和の礎と化しました。
平成18年(2006年)3月27日、成東町は山武町・松尾町・蓮沼村と合併して山武市となった。
伊藤左千夫の歌碑
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|