このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
大町桂月ゆかりの地
層雲峡園地
「層雲閣グランドホテル」
の対岸に層雲峡園地がある。
層雲峡園地に大町桂月の記念碑があるというので、行ってみた。
大町桂月記念碑
人若し余に北海道の山水を問はば、第一に大雪山を挙ぐべし。次に層雲峡を挙ぐべし。大雪山は頂上広くして、お花畑の多き点に於て、層雲峡は両崖の高く且つ奇なる点に於いて、いづれも天下無双也
雪嶺書
昭和46年(1971年)秋、層雲峡観光協会建立。
由 来
文豪大町桂月は、大正10年8月、草深きこの地を訪れ、大函、小函などを探勝し、さらに黒岳沢を経て大雪山頂を極めた。
桂月は、大雪山とこの地は全国にも類まれなる景観を激賞し、ここを層雲峡と命名し、帰京するや、格調高い美文を以って、大雪山と層雲峡を世に紹介された。
桂月来層50周年を記念し、この碑を建立して、その足跡を偲ぶものである。
対岸の高台に
「層雲峡朝陽亭」
が見える。
昭和8年(1933年)8月20日、
高浜虚子
は層雲峡を訪れている。
層雲峡は大した峡谷とも思はぬ。唯、どろの木とか、白樺とか、とゞ松とか、えぞ松とか、釣舟とか、蔓手毬とか、えぞかのことか、大蕗とか、まはりの植物が違ふために興味が深い。
殊に此の溪谷は大町桂月が北見の方から越えて來てはじめて其勝を發見したとのことである。層雲峡といふ名前も、銀河の瀧とか、流星の瀧とか、金糸の瀧とかいふ名前も皆桂月がつけたのかも知れぬ。探勝家たる桂月に敬意を拂ふべきであらう。桂月の足跡は此あたり到るところに在るやうである。
「北海道一見」
層雲峡
十人は淋しからずよ秋の暮
八月二十日。此の夜、層雲峡、層雲閣泊。
『五百句時代』
「層雲峡朝陽亭」の右手に黒岳。
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