このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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島崎藤村ゆかりの地

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往生寺〜藤村碑

長野市往生地に 刈萱堂往生寺 がある。

刈萱堂往生寺


島崎藤村 は『千曲川のスケッチ』で往生寺のことを書いている。

 長野では、私も 善光寺 の大きな建物と、あの内で行われるドラマチックな儀式とを見たばかりだし、それに眺望の好い往生寺の境内を歩いて見た位のもので、実際どういう人があるのか、精しくは知らない。

『千曲川のスケッチ』

明治38年(1905年)、藤村は東京へ去る。

明治39年(1906年)3月、 小諸義塾 閉鎖。25日、藤村『破戒』を自費出版。

刈萱堂往生寺の丘の上に藤村碑があった。


 蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。

 よく阿弥陀の鬮(くじ)に当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。 夜の休息(やすみ)を知らせる鐘が鳴り渡つて、軈(やが)て見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、 沈まりかへつて居た朋輩が復た起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。終には往生寺の山の上に登つて、苅萱の墓の畔に立ち乍ら、大な声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると——実に一生の光景(ありさま)は変りはてた。 楽しい過去の追憶(おもひで)は今の悲傷(かなしみ)を二重にして感じさせる。『あゝ、あゝ、奈何(どう)して俺は斯様(こんな)に猜疑深(うたがひぶか)くなつたらう。』斯う天を仰いで歎息した。 急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺め乍ら考へて居たが、思はず知らず疲労(つかれ)が出て、『藁によ』に倚凭(よりかゝ)つたまゝ寝て了つた。

平成4年(1992年)8月22日、藤村50回忌に藤村碑建立。

一部が削り取られている。

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