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私の旅日記2006年

善光寺〜仁王像〜
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今年も 善光寺(HP) に行ってみた。


今年は 去年 と違って雪がない。

仁王門


善光寺の山号「定額山」の額が掲げられている。

仁王像


   

高村光雲・米原雲海の作。

三門は、まだ保存修理工事中。

大勧進


善光寺大勧進は 天台宗 大本山。

 大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねているそうだ。

本堂


本堂の東に 小林一茶の句碑 がある。

経蔵


宝暦9年(1759年)建立。重要文化財である。

善光寺には一茶の門人 文路 、反古等がいた。

 明治24年(1891年)5月、正岡子規は木曽路の旅の途上善光寺に参詣する。

 浅間は雲に隠れて煙もいづこに立ち迷ふらんと思はる。汽車を駆りて善光寺に詣づ。いつかの大火に寺院はおろかあたりの家居まで扨も焼けたりや焼けたり、千歳の松も限りあればや昔の縁乍(たちま)ち消えうせて木も枝もやけこがれさも物うげに立てるあはひに本堂のみ屹然として聊かも傷はざるは浪花堀江の御難をも逃れ給ひし御仏の力、末世の今に至るまで変らぬためしぞかしこしや。

   あれ家や茨花さく臼の上


島崎藤村 は『千曲川のスケッチ』で善光寺のことを書いている。

 長野では、私も善光寺の大きな建物と、あの内で行われるドラマチックな儀式とを見たばかりだし、それに眺望の好い往生寺の境内を歩いて見た位のもので、実際どういう人があるのか、精しくは知らない。

『千曲川のスケッチ』

 大正6年(1917年)8月9日、 若山牧水 は善光寺に参詣した。

 昭和11年(1936年)5月28日、 種田山頭火 は善光寺を訪れた。

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