このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
竹久夢二ゆかりの地
東山温泉「新瀧夢千年」
〜夢二宵待草の碑〜
安積疎水十六橋水門
から国道49号に戻り、強清水で国道294号に入る。
背あぶり高原を通り、東山温泉に向かう。
東山温泉「新瀧夢千年」の前に夢二宵待草の碑がある。
まてど暮らせど
来ぬひとを
宵待草の
やるせなさ
こよひは
月も出ぬ
さうな
夢
明治43年(1910年)、銚子の
海鹿島
を訪れた夢二の思い出から生まれた詩である。
まちに歴史あり
〜会津の先人たち〜
竹久夢二(画家・詩人)
明治17年〜昭和9年(1884年〜1934年)
大正ロマンと言えば、その名がすぐに思い浮かぶ竹久夢二は、会津に大変ゆかりの深い放浪の画家であり、詩人でした。
岡山県に生まれた夢二は、文学の道を志しますが、転じて画家の道に進みます。24歳の時に岸たまきと結婚、彼女をモデルにした目の大きな独特の美人画が人気を博します。いわゆる夢二式美人画で、明治末から大正初期にかけてまさに一世を風靡したのです。夢二は恋多き人で、放浪の生活の中で幾たびか恋をし、その切ない思いや傷ついた心を画や詩の中に純粋に表現し、それが多くの人々の共感を得ました。
夢二が最初に会津を訪れたのは明治44年の3月半ば頃、知人の家に立ち寄った後、東山温泉に逗留しています。
その後、大正10年と昭和5年にも会津を訪れており、多くの人々と交遊し、多くの画や詩を残しています。特に有名なのが大川端に揺れる月見草から思想を得た「宵待草」の詩です。夢二は東山温泉が大のお気に入りでした。もちろん気に入ったのはお湯だけではなく「とんぼ」という芸妓をモデルとした絵も残しています。
「新瀧夢千年」前の橋のたもとに
与謝野晶子の歌碑
もあったようだが、気づかなかった。
湯の川の第一橋を我がこゆる秋の夕のひがし山かな
明治44年(1911年)8月、与謝野晶子は東山温泉を訪れ、「新瀧楼」に宿泊している。
「新瀧夢千年」は閉館。
現在は「
くつろぎ宿新滝
」として営業している。
門前温泉
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