このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
与謝野晶子の歌碑
〜東山温泉〜
東山温泉の湯川沿いに
「
くつろぎ宿
新滝」
がある。
橋を渡ると「
くつろぎ宿
新滝」の前に与謝野晶子の歌碑があった。
湯の川の第一橋を我がこゆる秋の夕のひがし山かな
明星派の浪漫主義歌人として明治、大正、昭和の三代にわたって歌壇に大きな功績を残した
与謝野晶子
は、明治44年(1911年)8月、与謝野寛、水上滝太郎、佐藤春夫、万造寺斉
(ひとし)
、江南文三らと吟行の旅に出て、
飯坂
からこの地に来遊した。
その折、ここ新滝旅館に宿をとり、緑深い山間の風情と湯川の清流にしばし旅の心をやすめた。滞在中に詠んだ歌は歌集「青海波」に収められている。
その後、20数年を経て昭和11年(1936年)9月、息女藤子、円城寺貞子らと猪苗代、
裏磐梯
から情緒あるこの清閑な山の湯にひかれて再遊、その情趣を愛でて作品を残した。
歌碑に刻んだ歌はこの時詠まれたもので、「会津詠草」と題した内の1首で、遺歌集
「白桜集」
に収められている。
当、新滝旅館では与謝野晶子曽遊ゆかりの地として、永く偉大な歌人を顕彰すると共に、また偲ぶよすがとしてここに歌碑を建立した。歌碑に刻んだ文字は当館所蔵の与謝野晶子直筆の歌から採ったものである。
昭和57年5月29日建之
建碑 新滝旅館
撰文 永塚 功
湯あみしてやがて出じとわが思ふ会津の庄のひがし山かな
半身を湯より出して見まもりぬ白沫たてる山あひの川
自らを清しとすれど猶あかず会津の山の湯を愛でて浴ぶ
『青海波』
昭和11年(1936年)9月6日、与謝野晶子は向瀧旅館に宿泊している。
湯の川の第一橋
(だいいちけう)
を我が越ゆる秋の夕のひがし山かな
ひがし山むら雨の雨に添ひ瀬の鳴りて露も變らずいにしへの夜に
東山伏見の瀧の上にある狐の湯にも聞ける夜の雨
『白桜集』
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