このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


田一枚うえて立去る柳かな

川越市大中居の新井家に芭蕉の句碑があるというので、探してみることにした。


川越市大中居はすぐに分かった。

たまたま通りがかった人に尋ねると、すぐ近くだった。

広い屋敷の片隅にある芭蕉の句碑を写真に撮らせて頂いた。

芭蕉の句碑


田一枚うえて立去る柳かな

 元禄2年(1689年)4月20日(新暦6月7日)、芭蕉が『奥の細道』の旅で 遊行柳 を訪れた時の句である。

 又、清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。此所の郡守戸部某の此柳みせばやなど、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。 田一枚植て立去る柳かな

安政5年(1858年)、新井高成氏によって句碑が建立されたようだ。

句碑の裏には撰文が漢文で書かれているが、たやすく読めるものではない。

明治8年(1875年)5月、新井里雄氏が刻んだものらしい。

 川越に芭蕉の句碑が 喜多院愛宕神社 、新井家と斎藤家の4ヵ所にあるようだ。

もう刻限が遅いので、 斎藤家 の芭蕉の句碑は後日。

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