このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
百年のけしきを庭の落葉かな
桐生市梅田町2丁目の観音堂に芭蕉の句碑があるというので、探してみた。
梅田町2丁目といっても広い。
芭蕉翁ノ詠蹟碑及銀杏ノ大樹
大字浅部村桐生街道ノ側ニ觀音堂アリ其前ニ雌雄互生ノ銀杏ノ大樹アリテ秋季落葉ノ景最モ美觀ナリ樹下ニ一碑アリ芭蕉翁ノ俳句ヲ刻ス高サ五尺幅二尺二寸厚サ壱尺六寸(畧圖参照)
山田郡梅田村郷土誌
昭和29年(1954年)10月1日、梅田村は桐生市に編入。
「桐生街道」は県道66号桐生田沼線。
旧道を探していくと、浅部の観音堂があった。
観音堂の前に芭蕉の句碑があった。
百年のけしきを庭の落葉かな
元禄4年(1691年)10月、彦根市平田の浄土宗
光明遍照寺
で詠まれた句。
寛政5年(1793年)10月12日、芭蕉百年忌に建立。
『はせをつか』
(楓幻亜編)に収録されている。
桐生市梅田町浅部の観音堂に立つこの碑は秩父札所の菊水寺に祖翁五十年追善のため涼袋が建てた
菊塚
そっくりの感じ。碑面中央に芭蕉翁とカイ書で書き、左右に高吟を配し、裏に元祿七年申歳至寛政五癸丑十月十二日百年忌辰建之とある。もゝ年を百年忌に利かせたつもりか、万事上菱の車用が指導で記念集まで企てられた。晩冬幾夜の霜に老いてこの大イチョウが金色の枯葉の雨を降らす時樹下四尺の句碑は始めて生きよう。元禄四年の句。
『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)
「大イチョウ」も今はない。
桐生市に現存する芭蕉句碑の中で一番古いものである。
『はせをつか』には「
翁 冢 同名久木 連中ゝ
梅か香にのつと日の出る山路かな
」とあるが、現存しない。
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