このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
西行能菴もあらん花乃庭
いわき市平字古鍛冶町に菩提院という寺がある。
菩提院
浄土宗
の寺である。
本堂の手前左手に芭蕉の句碑があった。
露沾公にて
西行能菴もあらん花乃庭
この句は俳聖松尾芭蕉が44歳の貞亨4年(1687年)9月、江戸六本木の内藤露沾公の屋敷で、郷里伊賀上野へ旅立つ送別の宴が催された席で、露沾公の庭を称賛して詠じた発句である。2年後の元禄2年(1689年) 3月に「奥の細道」の行脚へ出た。
発句は元禄11年刊行の
『泊船集』
に収録されている。
句碑は当院が菩提院町(15町目)にあった時、檀徒の俳人玉井一路氏が文政5年(1822年)8月に建立したもので、裏には本人の「秋の螢今宵は見えず成りにけり」の句が刻まれている。
『芭蕉翁發句集』
には「元禄六酉年」とある。
拓本があった。
明暦元年5月1日(1655年)、
露沾
は磐城平藩主内藤風虎の次男として生まれる。
天和2年(1682年)、弟に後嗣を譲って、麻布六本木に退隠。
貞亨4年(1687年)、芭蕉が『笈の小文』の旅に出るにあたり餞別の句を贈っている。
時は冬よしのをこめん旅のつと
『笈の小文』
一路は本名清次郎。越後あたりの人。
元治元年(1864年)、没。
碑の裏に刻まれているのは辞世の句である。
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