このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
しばらくは花の上なる月夜かな
渋川市上白井の御前神社に花塚があるというので、行ってみた。
上白井伊熊の北端、利根川の御前ヶ渕の上に御前神社があった。
御前神社
祭神は木花咲耶姫尊。
文久2年(1862年)、現社殿建立。
花塚
しばらくは花の上なる月夜かな
貞亨5年(1688年)春、芭蕉45歳の句。
市指定史跡
御前神社の斎坊塔(花塚)
指定 昭和63年7月19日
この塔は、旧沼田街道西通り沿い上白井伊熊の御前神社境内に建立されている円形の芭蕉句碑である。
「しばらくは花の上なる月夜かな 芭蕉翁」と刻まれている。元禄元年(1688年)
『初蝉』
に収められている句である。
建立者は、渕ノ上の小渕南交で、南交は蒼々庵と号し、
白井鳥酔
の流れをくむ松露庵三世
烏明
、四世
雨什
の指導を受けている。碑の中央に「斎坊塔」とあり、右に芭蕉の句が、左に先師烏明の時雨の句を刻み、裏面に南交自身の四季吟を添えている。烏明の書といわれている。花塚と命名されている。建立は、文化13年(1816年)8月である。
渋川市教育委員会
『諸国翁墳記』
に「
花 塚 上野国郡
(ママ)
馬郡上白井村御前森
ニ
アリ 蒼々菴南交建之
」とある。
南交は通称右衛門長僖。江戸に出て、武州八王子の俳人二世鳥酔、上州岩本の俳人兀雨
(ごつう)
と親交を結んだ。
文政11年(1828年)、75歳で南交没。
国道17号伊熊北交差点の坂道に土屋文明の歌碑があった。
子持山若葉のときに我は來て草をぞあつむ手に餘るまで
昭和54年(1979年)12月、農免農道開通記念に建立されたようだ。
土屋文明
は群馬県群馬郡群馬町(現・高崎市)出身。
玉山神
社へ。
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