このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


木啄も庵は破らじ夏木立

益子町塙の国道121号沿いに旧家がある。


旧家の庭に芭蕉の句碑があった。


木啄も庵は破らじ夏木立

 元禄2年(1689年)4月5日(陽暦5月23日)、『奥の細道』の旅の途上、 雲厳寺 で詠まれた句。

宇都宮公旧帖明記
益子塙本陣大塚氏十
三代徳右衛門天保年
間学問長門人百五十
余名元禄二年芭蕉奥
乃細道辿益子西通同
人此慕記念右掲碑刻
十七代健一郎崇祖念
極厚七十歳此碑建也

 昭和五十年五月二十五日

日本大学教授
田村豊幸書

右上に芭蕉の句が嵌め込まれている。


碑の裏に説明があった。



明治百年記念栃木県史編さんのため、各在家古文書調査中、大塚家において数多文書刀剣劍其他を披見していたところ芭蕉の句碑も発見された。是珍品中の珍品である。日本大学教授田村豊幸先生の認むるところとなりここに復元した。大塚家は徳川時代は本陣庄屋等この地域の総元締であったが、更に往古に溯れば益子城の重要拠点であったのみならず、広大な屋敷内から先住民族古墳遺物五輪塔等出土されていることは他に類例をみない。こゝ句碑建立に際して遠祖の霊に香華を手向け栄誉を永く子孫に伝え大塚家の繁栄することを記念する。

 昭和五十年五月廿五日

益子郷土研究会 平嶋五一謹言

左に 嵐雪 の句が嵌め込まれている。


花に風かろく来て吹け酒の泡

『いつを昔』 収録の句である。

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