このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
鶯の笠おとしたる椿可南
大河原町字町の白石川沿いに繁昌院という寺がある。
吉祥山繁昌院
慶長10年(1065年)、開山。
曹洞宗
の寺である。
山門を入ると、右手に芭蕉の句碑があった。
鶯の笠おとしたる椿可南
出典は
『芭蕉翁全傳』
。
元禄3年(1690年)2月6日、伊賀の百歳子という人の家で詠まれたものといわれている。
元禄2年(1689年)5月4日、芭蕉は白石から奥州街道を白石川沿いに下り、岩沼に向かった。
弘化3年(1848年)、大河原町の俳人村井江三はこの地を通った芭蕉翁を偲び
韮神山の山裾
に芭蕉の句碑を建立。その模刻である。
『海内俳家人名録』
に「
江三 別号一日庵 奥州大河原駅 村井氏
」とある。
繁昌院に村井江三の墓がある。
一日庵江三(村井兵治)の墓
寛政8年(1796年)、大河原町本町生まれ。江戸時代後期の著名な俳人で、幼少より学問を好み、各地の俳句会に招かれ、その選者として活躍した。その足跡は仙南地方に止まらず、仙台から山形一円にかけて残っている。辞世の句「さいはいやことしの花も見尽志て」
尾形家の墓
江戸から昭和初期にかけて、町の経済・文化の指導的役割を果たした尾形家の墓地。尾形丁や六沼新田を開発した安平、詩人亀之助などの代々の墓碑は、俳人
高浜虚子
の揮毫になるものである。
芭蕉の句碑
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください