このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
霧しくれ富士を見ぬ日ぞ面白き
箱根峠を越えて国道1号を下ると、富士見平で富士山が見えた。
富士山
車を停めると、大きな芭蕉の句碑があった。
芭蕉の句碑
霧しくれ富士を見ぬ日ぞ面白き
出典は
『野ざらし紀行』
貞亨元年(1684年)8月、芭蕉は千里を伴い「野ざらし紀行」の旅に出る。芭蕉41歳の時である。
昭和53年(1978年)10月、建立。
享和元年(1801年)2月29日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で富士見平の富士は見えなかった。
やゝ行きて霧はれわたり、四方の山々あざやかにみゆ。富士見だいらといへる所のよしきゝつるに、ふじの山のみくもりて見えぬぞうらみなる。
『改元紀行』
文政元年(1818年)11月24日、
渡辺崋山
は箱根を越えて丸山の茶屋から富士を見ている。
廿四日 晴、越
二
箱根
一
終日逐
レ
勝不
レ
録、丸山の茶屋より不二を見る、甚よし。此処より左ハ伊豆、山々をのぞミ、右はあし高、不二を見る。箱根より三嶌へ出る駅口に見る不二、尤善し。宿。
「東海道駕籠日記」
嘉永4年(1851年)4月6日、吉田松陰は箱根を登り、富士を見ている。
一、六日 翳。寅後、三島を發す。筥根嶺を登りて行くこと里餘、乃ち天明けたり。後に顧みれば則ち沼津・三島は目下に在り。左に富山を顧みれば則ち半腹以上は積雪皓々たり。
『東遊日記』
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