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芭蕉の句碑
朝かほにわれは飯くふ男かな
前橋市文京町3丁目に自治会館がある。
自治会館に芭蕉の句碑があった。
朝かほにわれは飯くふ男かな
出典は
『虚栗』
(天和3年)。
天和2年(1683年)、芭蕉39歳の句。
和
二
角蓼蛍句
一
あさがおに我は食
(めし)
くふお
(を)
とこ哉
『虚栗』(其角編)
「
角が蓼蛍の句
」は、
其角
の「
草の戸に我は蓼くふほたる哉
」。
『芭蕉翁發句集』
には「
をのこ哉
」とある。
一説に貞享二、其角が大酒をいましめたもふ句といへり。
『芭蕉翁略伝』
(湖中編)
『風羅袖日記』
は「貞享三寅」とするが、誤り。
蕣に我は飯くふおとこかな
和
二
角蓼蛍句
一
と有、「草の戸に我は蓼くふ螢哉」
其角
。世俗に心剛
(つよ)
き者を蓼喰虫と言によれるにや。蕣は翁若かりし時の吟と見へて
虚栗
に出て意気壮んなるにまかせ朝顔のもろきを観せず徒に飲食に明し暮すを爰に我をかへりみて述られしにや、いとも殊勝なり。
『蕉句後拾遺』
あさかほに我は飯くふおとこかな
世ハたゝ朝顔の朝な朝なに起て物くひ枕を高くして宵寝する身のいたつらを観想の句なり。男哉とをける所、尤妙所といふへし。袖日記にいはく、「久かたのひかりのとけき春の日にしつ心なく花の散らむ」といへる手尓葉をしらされは此句聞事かたし。
口受
『芭蕉句解』
昭和18年(1943年)、句碑建立。
前橋市高田町樫村霞道翁の前庭に在るが、もと芳町某寺にと予定していたところ、戦争中いろいろ面倒があって自分の庭に建てる外なかったのだと聞いた。
『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)
樫村霞道は『上毛古俳家全集』(1950年刊)の著者。
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