このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
夏来ても多ゞ一つ葉乃一津可南
鳥取市用瀬町の因美線用瀬第二踏切に「用瀬番所跡」がある。
「用瀬番所跡」に芭蕉の句碑があった。
夏来ても多ゞ一つ葉乃一津可南
出典は
『阿羅野』
。
『笈日記』
には「一葉哉」とある。
貞享5年(1688年)、『笈の小文』の旅の帰路岐阜付近の山中で詠まれた句。
用瀬番所跡
藩の領域を守るために用瀬に番所が置かれたのは、慶応元年(1865年)であった。御藩士6人、下番4人が配置され、山口村及び細尾村木戸締を兼務した。
この番所のそばに大きな一本松があった。番所松と呼ばれていたが、大正8年(1919年)鳥取軽便鉄道が用瀬まで開通する時に切られた。
この番所は、明治4年(1871年)11月7日まで置かれ、通行人や荷物の検査が厳重に行われたものである。
芭蕉塚
芭蕉塚は鳥取県下に七ヶ所ある。ここの塚は寛政9年(1797年)7月25日に一本松の所に建てられた。
夏来ても多ゞ一つ葉乃一津可南
芭蕉の徳を慕った俳句同行者の手で作られた。
平成10年7月
用瀬町教育委員会
2004年11月1日、用瀬町は鳥取市に編入合併し、鳥取市用瀬町となった。
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