このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
無き人の記念も今や土用干
伊勢崎市境上武士に能満寺という寺がある。
摩尼珠山虚空蔵院能満寺
新義
真言宗
の寺である。
俳人洗耳は能満寺の僧。
能満寺境内に芭蕉の句碑があった。
無き人の記念も今や土用干
出典は
『猿蓑』
。
貞亨5年(1688年)、芭蕉45歳の句。
千子が身まかりけるをきゝて、みのゝ国より去来がもとへ、申しつかはし侍りける
無き人の小袖も今や土用干
芭蕉
貞亨5年(1688年)5月15日、
去来
の妹千子
(ちね)
没。
「土用干し」は夏の土用に衣類や本を干して風を通し、虫のつくのを防ぐこと。虫干し。夏干し。
明治36年(1903年)、小泉茂質桃樹園華友建立。二世楊州庵半湖の書。
二世楊洲庵半湖は伊与久の俳人高井半湖。玉村の俳人
羽鳥半海
に楊州庵の号を譲られた。
大正5年(1916年)、72歳で没。
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