このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


都出てゝ神も旅寝の日数哉

JR沼津駅から山王通りを行くと、沼津市平町に日枝神社がある。


日枝神社


   三枚橋山王の社にて

釜堂に煮え立ばかり蝉の声
西奴


西奴は 白井鳥酔 の前号。

日枝神社に芭蕉の句碑がある。


都出てゝ神も旅寝の日数哉

曲水宛書簡(元禄4年11月13日)冒頭の句である。

 昭和62年(1987年)4月29日、芭蕉来沼300年を記念して双葉俳句会建立。

 長月の末、都を立ちて、初冬の晦日ちかきほど、沼津に至る。旅館のあるじ所望によりて、風流捨てがたく筆を走らす。

都出でゝ神も旅寝の日数哉


原本は柿衛文庫所蔵。

 元禄4年(1691年)9月28日、芭蕉は膳所 義仲寺 を後にして東下の旅に出、10月も末に近い頃沼津に着いた。

 松茸・御所柿は心のまゝに喰ちらし、今は念の残るものもなしと、暮秋廿八日より三十二日めに、武江深川に至り候。

曲水宛書簡(元禄4年11月13日)

  曲水宛書簡 (元禄4年11月13日)は蕉門宇古から岡崎の俳人三秀亭李喬に伝わった。

この時芭蕉が泊まったのは、三枚橋町の矢部九郎左衛門宅であろうという。

俳諧一葉集』 に「霜月のはじめ武江に至る」と前書きがある。

11月1日、江戸に到着したのであろう。

住る方は 」人に譲っているので、日本橋橘町彦右衛門宅貸家に旅装を解いた。

 元文2年(1737年)、 白井鳥酔 は秋瓜と矢部石矢宅に泊まり、芭蕉の真蹟「都出てゝ神も旅寝の日数哉」を見ている。

『諸国翁墳記』 に「旅寝塚 駿州沼津釋迦堂在 六花菴官鼠建」とある。

釋迦堂の句碑は消滅したようだ。

石矢の句

凌霄やまた片枝は暮残し


一里塚公園 へ。

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