このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


いのち婦たつ中に活たるさくらかな

甲賀市水口町京町の古城山南麓に 大岡寺 (HP)という寺がある。


大岡寺の石段


近江西国三十三所箇所霊場26番札所。

龍王山大岡寺


天台宗系 単立寺院 である。

 寺伝によれば、白鳳14年(686年)僧 行基 が諸国行脚に際し、大岡山の山頂に自彫の十一面千手観世音像を安置し創建したという。

 その後寺勢盛大を極め、十六の坊を擁していたと伝えられるが、天正2年(1574年)の兵火で、堂宇はことごとく焼失し、東之坊(本坊)を残すのみとなった。

 当寺には史蹟が多く、鴨長明発心之所であり、巌谷一六の記念碑や芭蕉の「命二つ中に活きたる桜かな」の句碑等がある。この句に詠まれた桜は「大岡寺の桜」として水口八景の一つに数えられている。

巌谷一六は書家。 巌谷小波 の父。

芭蕉の句碑


いのち婦たつ中に活たるさくらかな

出典は 『野ざらし紀行』

「水口にて、二十年を經て故人に逢ふ」と前書きがあり、「命二つの」とある。

「故人」は 服部土芳

 貞享元年(1684年)冬、芭蕉が帰郷した時に土芳は播磨に出かけていた。翌貞享2年春、芭蕉が故郷を出立した後で土芳は伊賀に戻った。土芳は芭蕉の後を追い、ここ水口で再開を果たした。

命二ツ中に生たるさくら哉

是ハ水口ニテ土芳ニ玉ル句也。土芳此年ハ播广ニ有テ、帰ル頃ハはや此里ヲ出ラレ侍ル。ナヲ跡ヲシタヒ、水口越ニ京ヘ登ルニ、横田川ニテ思ハズ行逢ヒ、水口ノ駅ニ一夜昔ヲ語シ夜ノ事也。明の日ヨリ中村柳軒ト云醫ノモトニ招レテ、又此句を出シ、廿年来ノ旧友二人[脱文]挨拶シタリト笑ワレ侍る。蓮花寺ト云寺ニ折フシ伊賀ノ大仙寺ノ嶽渕あり。各昼夜四五日談じテ、発句アリ。哥仙有。又多賀何某ト云老醫、翁ニ旧キ因(ヨシミ)有。モテハヤシ有。是ヨリナゴヤヘ出ラレシ也。


寛政7年(1795)、加藤蜃州建立。

加藤蜃州は水口藩の家老。 高桑蘭更 の門人。

句碑の左に石燈籠がある。


芭蕉翁碑前

 享和元年(1801年)、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で岡観音のことを書いている。

右に鴨長明発心所といへる碑たてり。岡観音・兼家旧跡などあり。夷町を過て左のかたに大手の門みゆ。木戸 右に天満宮あり。市賑ひなし。馬場さきの立場をこえてゆけば、右に大岡寺山高くみゆ。大岡山とも


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