このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
雲雀啼なかの拍子やきじの声
嬬恋村大笹の国道144号沿いに大笹神社がある。
大笹神社
鳥居の右手に芭蕉の句碑があった。
雲雀啼なかの拍子やきじの声
出典は
『猿蓑』
(去来・凡兆共編)。
元禄3年(1691年)の句。
元禄2年(1690年)という説もある。
嘉永6年(1853年)7月、建立。一夏庵竹烟書。
嬬恋村指定文化財
芭蕉の句碑
この碑は、右側面には、「嘉永六年癸丑文月建立 一夏庵竹烟敬書」と銘文があることから、嘉永6年(1853年)に一夏庵竹烟によって碑文が書かれたことが分かります。竹烟は草津の俳人で吾妻俳壇の指導者として活躍し、村内にも句集などを残しています。碑面には、
「雲雀啼なかの拍子やきじの声 ばせを翁」
と刻まれています。雲雀の細い声に拍子をとるかのように甲高い雉子の声が聞こえるという意味で、芭蕉翁元禄3年(1691年)の作、句集『猿蓑』に載っています。
碑の背面には世話人の名が8人書き連ねられており、何れも地元の俳人です。この碑の開眼連歌が催された時、竹烟の他20余名の参加が記録されていることからも当時の郷土文化がかなり充実していたことがうかがえます。この句碑は芭蕉の俳句の作り方「蕉風」を正しく伝えたいというねがいから建立されたと考えられています。
嬬恋村教育委員会
国道144号は大笹街道。北国街道 の脇往還であった。
明和8年(1771年)8月20日、諸九尼は大笹宿に泊まっている。
十七日 上野の国桐生といふにとまる。それより米野、原の町、大篠などいふ所に宿りて、廿一日は八里峠といふにかゝる。左りの方に浅間山たしかにみゆ。
朝ぎりや麓の家はけぶりたつ
『秋風記』
芭蕉の句碑
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