このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


武蔵野や一寸ほどの鹿の声

廣瀬神社 から国道299号を行き、狭山市笹井の白髭神社へ。


 文明19年(1487年)聖護院二十九代門跡道興准后が関東方面巡錫の折、白髭神社の別当寺観音堂に滞在し、当社を拝礼し、御神木銀杏を手植えされたと伝えられている。

佐西の観音寺といへる山伏の坊にいたりて、四五日遊覽し侍る間に、瓦礫ども詠じ侍る中に、


白髭神社に芭蕉の句碑があった。


武蔵野や一寸ほどの鹿の声

出典は『俳諧当世男(いまやうをとこ)』。

延宝3年(1675年)、芭蕉32歳の時の句。

此の句の碑は珍しい。

俳諧板東太郎』(延宝7年)は西望の句とする。

西望は羽生の俳人。吹上の せせらぎ公園 に句碑がある。

白髭神社


「笹井豊年足踊り」は狭山市指定無形文化財。

 昭和20年(1945年)5月25日の夜半、入間市から笹井にかけて焼夷弾による戦災を受け、75家族13人が死亡した。

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