このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


あかあかと日ハ難面も秋の風

浜松市天竜区二俣町鹿島に清竜中学校がある。


校門を入ると左手に芭蕉の句碑があった。


あかあかと日ハ難面も秋の風

文化七庚午仲秋鉄斉蚊謹書

 この句は、松尾芭蕉の紀行『奥の細道』にあるもので、同行の曽良と加賀の金沢を立ってから小松町に行く途中で吟じた俳句である。句碑は文化7年(1810年)に二俣村の名主米山宗右衛門忠恕が芭蕉を追慕して自分の邸内に建てたもので、後年県立二俣高等女学校(現二俣高校)に移転され、さらに地方史家大場亀吉氏所有となり、昭和31年に二俣中学校に移され今日に至っている。

 この句は、初秋の夕日が秋になったのも知らぬように照りつけ残暑は一向に衰えをみせぬが、さすがに秋風は涼しさが感じられるという解釈がされている。

米山忠恕は俳号石龍。三礼舎。

文政4年(1821年)、 大島対山 は米山石龍を訪れている。

文政8年(1825年)8月、72歳で没。

三井園鉄斎は諏訪の神主。 大島蓼太 の門人。

天保2年(1831年)6月、57歳で没。

平成17年(2005年)、二俣中学校は統合により清竜中学校になった。

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