このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


かけろふの我肩に立かみこかな

白石市益岡町に 白石城跡 がある。

城跡は益岡公園になっている。


益岡公園の北西に芭蕉の句碑があった。


かけろふの我肩に立かみこかな

出典は 「真蹟懐紙」

 元禄2年(1689年)2月7日、江戸に下っていた大垣の俳人トウ山(※「トウ」=「口」+「荅」)の旅宿で巻かれた歌仙の発句。

   元禄二仲春、トウ山旅店にて

かげろふの我肩にたつかみこかな
   ばせを

水やはらかにはしり行おと
   曽良

杣のやにうどのあへものあつらへて
   とう山

身はかりそめにさるのこしかけ
   此筋

いざよひもおなじ名所に帰りけり
   ソ良

こゝろかくすものうりの秋
   ばせを

昭和48年(1973年)10月12日、芭蕉280回忌に建立。

 白石で詠まれた句ではないが、白石は紙子の名産地として知られていることから選ばれたそうだ。

元禄2年(1689年)5月3日(新暦6月19日)、芭蕉は白石に投宿。

ソノ下ノ道、アブミコブシト云岩有。二町程下リテ右ノ方ニ次信・忠信が妻ノ御影堂有。同晩、白石ニ宿ス。

『曽良随行日記』

乙二の句碑もあった。


粟まくやわすれすの山西にして

『春秋稿』(第六編) に収録されている句。

季語は「粟蒔く」で、夏。

昭和33年(1958年)10月、乙二句碑建立委員會建立。

  松窓乙二 翁は江戸時代文化・文政期に東北俳壇四天王の一人として知られる俳人であり、乙二の家は聖護院派に属する修験で「千手院」(市内亘理町)と称し、代々片倉家に客分を以て遇せられ、刈田郡内修験道の触頭たる殊遇を受けた。乙二は千手院第10代の修験で、権大僧都岩間清雄法印のことで、蔵王不忘山麓の白石に住していることから、「わすれず山の翁」として親しまれた。

 乙二は旅を好み、江戸や越後、東北全土はもちろん、北海道まで行脚、 函館 には前後7年間滞留し、「斧の柄吟社」をおこしている。

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