このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

白石城跡〜碑巡り〜
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白石市益岡町に白石城跡がある。


白石城


平成7年(1995年)5月3日、復元。

白石城(別名益岡城)の歴史

 天正19年(1591年)、豊臣秀吉は伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は城下町を含む城郭、白石城を築城し城主となった。

 慶長5年(1600年)、関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修を行い、以後明治維新まで260余年間、片倉氏の居城となった。

城跡は益岡公園になっている。

益岡公園の北西に 芭蕉の句碑 があった。


かけろふの我肩に立かみこかな

岩間乙二 の句碑もあった。


粟まくやわすれすの山西にして

片倉小十郎景綱は亘理郡にあった千手院を白石城下の鬼門に移した。

乙二は千手院第十代の修験である。

虚子の句碑 もあった。


羽と陸と併せて蔵王夏の山

平成3年(1991年)9月、『蔵王』600号記念に建立。

三階櫓(天守閣)


青空でないのが残念だ。

片倉家中武家屋敷


 元禄2年(1689年)5月3日(新暦6月19日)、芭蕉は白石に泊まっている。

さい川ヨリ十町程前ニ、万ギ沼・万ギ山有。ソノ下ノ道、アブミコブシト云岩有。二町程下リテ右ノ方ニ次信・忠信が妻ノ 御影堂 有。同晩、白石ニ宿ス。

『曽良随行日記』

 寛政3年(1791年)5月29日、鶴田卓池は武隈の松を訪ね、白石の城下へ。

名取川を過て岩沼に宿る。道祖の社、笠島の実方塚は、足のいたみに心いそぎて見残はべりぬ。武隈のまつを尋ね、あぶくま川をわたりて、白石の城下にいづる。


 嘉永5年(1852年)3月22日、吉田松陰は白石へ。

 白石は昔上杉の臣甘糟備後居り、後に伊達の抜く所となれり。城あり、今は片倉小十郎居る、祿三萬石。市廛頗る繁盛なり。城は高陵に據り、家臣の宅舎之れを繞り、市廛又之れを圍む。


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