このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
叡慮にて賑ふたみや庭かまど
一宮町一宮に
玉前神社
(HP)がある。
玉前神社は
延喜式内社
。
上総国
一ノ宮
である。
玉前神社の鳥居
社殿は平成の大修理中だった。
祭神は玉依姫命
(たまよりひめのみこと)
。
玉依姫命は
豊玉姫命
の妹。
豊玉姫命は鵜茅葺不合命
(うがやふきあえずのみこと)
を出産の後、妹の玉依姫命にその御子を託して海へ去られた。
社殿の手前に芭蕉の句碑があった。
叡慮にて賑ふたみや庭かまど
『庭竈集』 冒頭の句である。
享保13年(1728年)10月、『庭竈集』(越人編)刊。
碑陰に次の2句が見えるそうだ。
広き葉のくらべものなきはせをかな
金波
二条殿御代官月院社大宗匠
蝶鳥やこころの底のなき晴て
何丸
明治元年(1867年)、建立。
一宮町指定文化財(史跡)
芭蕉の句碑
この碑は表面中央に「たかき屋にの御製の有難を今も猶 叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを」と大書されている。「はせを」は芭蕉のことであり、元禄元年(1688年)秋冬の頃の作で仁徳天皇の聖徳を称えたものである。左には「名にしおはゞ名取草より社宮哉 金波」を発句とする表十句を刻んである。
背面には、上部に「無尽言」の題字、その下に149句を刻み、起名庵金波の芭蕉景仰の漢文銘があり、左端に「明治紀元戊辰晩秋 催主 千丁 河野五郎兵衛」とあり、上総千町村 (現茂原市千町)の俳人起名庵金波「河野五郎兵衛」一門によって建てらたもので、書も金波といわれている。
金波は文化元年(1804年)岡山の井出家に生れ、俳句を学び起名庵を創始した。嘉永5年(1852年)千町村の河野家の養子として迎えられ、明治20年84歳で没した。
一宮町教育委員会
金波の句
引わけてとちらも笑ふすまひ哉
『浜ひさし』
神輿があった。
明治39年(1906年)8月17日、河東碧梧桐は大原から一宮に行く。
大原から汽車。一の宮に宿を求めて風呂から上ると、黄昏の空に稲妻が頻りにひらめいておる。(上総一の宮にて)
稲妻に旅情催うす句案かな
『三千里』
芭蕉の句碑
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください