このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
小沢何丸
高桑蘭更
の門人。初号漁村。別号月院社。
何丸 江戸浅草田原町三丁目 月院社
『諸国人名録』②
十返舎一九の狂歌に「
儒は太宰すもう雷電武士真田ソバに月見に一茶何丸
」とある。
宝暦11年(1761年)、上水内郡吉田村北本町(現在の長野市吉田)で小沢治郎右衛門の長男として生まれる。
文政2年(1819年)、江戸に出て蔵前の富豪守村抱儀の援助で俳諧宗匠となる。
文政7年(1824年)、善光寺で俳諧大宗匠披露。
文政7年(1824年)8月、
芭蕉の句碑
を建立。
雲折人を休むる月見かな
文政10年(1827年)、
『芭蕉翁句解参考』
刊。
天保3年(1832年)、芭蕉百四十回忌に
芭蕉の句碑
を建立。
月かけや四門四宗も唯一つ
天保8年(1837年)10月27日、77歳で没。
嘉永元年(1848年)冬、何丸十三回忌に何丸の句碑を建立。
只涼し水ものほらす月も来す
安政5年(1858年)2月、抱義は
芭蕉の句碑
を建立。月院社何丸書。
曙やまた朔日に郭公
長野市の
和田神社
に何丸の句碑もある。
押しとも明くへき花の戸口かな
平成18年(2006年)、再建。
明治元年(1867年)、上総千町村 (現:茂原市千町)の俳人起名庵金波一門は
芭蕉の句碑
を建立。
叡慮にて賑ふたみや庭かまど
碑陰に金波と何丸の句が見えるそうだ。
広き葉のくらべものなきはせをかな
金波
二条殿御代官月院社大宗匠
蝶鳥やこころの底のなき晴て
何丸
何丸の句
燕子花さくや世間はひとへ物
『菫草』
さみだれや百合のたぐひも花が済
『物の名』
帰るとてわるびれもせず雁の声
『木槿集』
田の風や明る侘しき螢の夜
『小夜の月』
鶯を取てのければ枯木なり
『椎柴』
めつらしう豊後咲けり社日過
『雪のかつら』
おさすとも明へき花の戸口かな
『しをに集』
身をしらぬものこそなけれ虫の蓑
『杉間集』
ふう替て蚯蚓きかうぞすみだ川
『墨多川集』
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