このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


観音の甍見やりつ花の雲

久留米市田主丸町石垣に 観音寺 (HP)という寺がある。


石垣山観音寺


 白鳳2年(673年)、天武天皇の勅願寺として創建。

 和銅2年(709年)、 行基菩薩 が七堂伽藍を造営、元明天皇より「観音寺」の勅号を賜る。

 承和14年(847年)、 慈覚大師 円仁が入唐求法の帰途に立ち寄り、「法相宗」から「 天台宗 」 に改宗。

山門右手の鐘楼に芭蕉の句碑があった。


観音の甍見やりつ花の雲

出典は 『末若葉』 (其角編)。

貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。

文化3年(1806年)春、有無庵其成・楓波堂軽舟建立。

  『諸国翁墳記』 に「曙 塚 筑后竹野郡石垣山観音寺在 其成・輕舟建之」とある。

本堂及び庫裡は改修中だった。

本尊は十一面観世音菩薩。

九州西国霊場第19番・筑後国第3番の札所である。

昭和5年(1930年)12月10日、 種田山頭火 は観音寺に参拝した。

 十二月十日 晴、行程六里、善導寺、或る宿

九時近くなつて、双之介さんに送られて、田主丸の方へ向ふ、別れてから、久しぶりに行乞を初めたが、とても出来ないので、すぐ止めて、第十九番の札所に参拝する、本堂庫裡改築中で落ちつきがない、まあ市井のお観音様といつた感じである、こゝから箕ノ山の麓を善導寺までの三里は田舎路らしくてよかつた、箕ノ山といふ山はおもしろい、小さい山があつまつて長々と横は(マヽ)つてゐるのである、陽をうけて、山脈が濃淡とりどりなのもうつくしかつた、途中、第十八番の札所へ詣るつもりだつたが、宿の都合が悪く、日も暮れかけたので、急いで此宿を探して泊つた、同宿者が多くてうるさかつた、日記を書くことも出来ないのには困つた、床についてからも嫌な夢ばかり見た、四十九年の悪夢だ、夢は意識しない自己の表現だ、何と私の中には、もろもろのものがひそんでゐることよ!

   ・旅は雀もなつかしい声に眼ざめて
   ・落葉うづたかく御仏ゐます
   ・行き暮れて水の音ある


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