このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


鶯迺笠於登し多累椿可那

埼玉県の上尾市領家に椿堂がある。


椿堂


椿堂に芭蕉の句碑があった。

芭蕉の句碑


鶯の笠落したる椿かな

出典は 『猿蓑』

 椿堂は、かっては本山派修験に属する林蔵院(明治4年に廃寺)の所有で、椿の古木があることから土地の人は古くから椿堂と呼んでいる。

 この名にちなんで「うぐひすの笠落したる椿かな」の芭蕉の句碑が建てられている。

 この句は芭蕉48歳の作で、元禄3年(1690年)2月6日、伊賀の百歳子という人の家で詠まれたものといわれている。

 うぐいすの笠とは普通梅の花のことをいうが、これをもじって落ち椿をうぐいすの落とした笠と見たてたものである。

 百歳子は西島百歳。伊賀上野の門人。藤堂新七郎家の五郎左衛門良重の子。蝉吟の甥にあたる。

冬又伊賀にて百歳子のもとに、(西島氏)歌仙一卷

      鶯の笠おとしたる椿かな


 句碑の裏面には、天保5年(1834年)無礙庵雙杜(むぎあんそうと)という土地の俳人の米寿(88歳)を祝って友人達が建てたと記されている。無礙庵は畔吉村(上尾市)の人で、18世紀に江戸を中心に活躍した俳人大島寥太門人である。

 また、この裏面に文書を書いたのは、旧中分村(上尾市大字中分)の松日庵伊圭という人で、俳句や書に優れていた。伊圭は俳号で、書では完里の号を用いていた。

埼 玉 県
上 尾 市

裏面には無礙庵双杜の句が刻まれている。

こその燈のまたしめさぬに梅見かな

双杜は三世雪中庵 寥太 の門人で、四世雪中庵 完来 とも交流があった。

双杜の句

灯籠に影を置けり松の蘿


晩鐘にうき世の秋を聞く日かな

鈴木荘丹 『与野八景』

 『芭蕉句碑を歩く』(小林甲子男著)には紹介されていないが、上尾市宮本町の 氷川鍬神社 にも芭蕉の句碑がある。

薄紅葵(うすべにあおい)に紋白蝶。


上尾市領家の北が桶川市川田谷。

 江戸時代、川田谷村は俳句が盛んで、与野の俳人鈴木荘丹の弟子菜窓菜英がいた。

桶川市川田谷の北が北本市石戸宿。

北本市石戸宿の 榎堂 にも芭蕉の句碑がある。

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