このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


海くれて鴨の聲ほのかに白し

 海上(うなかみ)八幡宮に芭蕉の句碑があるというので、行ってみることにした。

  ヒゲタ醤油工場 から国道356号(利根水郷ライン)行くと、総武本線松岸駅がある。


 文化14年(1817年)6月、小林一茶は銚子から小南(千葉県香取郡東庄町小南)を訪れる途中、松岸を通りがかる。

遊女めが見てケツカルぞ暑い舟

釣竿を岩に渡して日傘哉

画団[扇](うちは)やあつかまし[く]も菩薩顔

天から下りた顔して団[扇](うちは)

『七番日記』(文化14年6月)

松岸には遊女がいた。

 銚子往来の旅人此河岸より揚がる。淫肆有りていと繁昌なる地なり。

赤松宗旦『利根川図誌』(巻6)

総武本線松岸駅を過ぎると、海上(うなかみ)八幡宮があった。

海上八幡宮参道


海上八幡宮本殿


 海上八幡宮は社伝によると平安時代初期の大同2年(807年)豊前宇佐八幡を勧請し、造営した。祭神は、譽田別尊(ほんだわけのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのみこと)比賣神(ひめのみこと)3柱の5柱を合祀しする。江戸時代は社領30石を有し、海上郡(うなかみごおり)60余郷の総鎮守として栄え、総社八幡宮と称した。

八幡宮の境内を探しても芭蕉の句碑は見当たらない。

八幡宮本殿から長い参道を戻って、芭蕉の句碑を探し当てた。



海くれて鴨の聲ほのかに白し

出典は 『野ざらし紀行』

貞亨元年(1684年)12月、熱田で詠まれた句。

文化2年(1805年)4月、建立。

文化二乙丑年四月日 無物庵造立


蘆の穗に五日はかりの月夜かな
存亞

います如くいのらはなとか神の留守
前神主 宮城

一茶も芭蕉の句碑を見たと思う。

 嘉永5年(1852年)1月7日、吉田松陰は利根川を下って 息栖 に至り、松岸に泊まっている。

 流に順ひて下ること三里、息栖に至る。日已に沒せり。陸に登りて飯を喫し、反りて舟に登り、又下ること六里、松岸に至れば則ち夜已に二鼓なり、陸に登りて宿す。

松岸に歸りて宿す。往復四里。


 安政5年(1858年)3月29日、赤松宗旦は海上八幡宮に参詣している。

芝崎村
 海上八幡宮 参詣。
同神主
 松本長門立寄。

赤松宗旦 『銚子日記』

4月3日、宗旦は銚子の帰りにも海上八幡宮を訪れたようだ。

三日雨 四ツより晴
 けふハ芝崎村の
  海上八幡宮の御田植祭有。
   至て賑ハし。

赤松宗旦 『銚子日記』

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