このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
杜若語るも旅のひとつ哉
大阪市福島区鷺洲に了徳院という寺がある。
如意山了徳院
東寺
真言宗
の寺である。
浦江聖天の名で親しまれている。
了徳院境内の弁天池に芭蕉の句碑があった。
杜若語るも旅のひとつ哉
出典は
『笈の小文』
。
「大坂にてある人のもとにて」と前書きがある。
貞亨5年(1688年)4月、芭蕉は万菊を伴い大阪の一笑宅に泊まる。
誉田八幡にとまりて、道明寺・藤井寺をめぐりて、つの国大江の岸に舎る。いまの八間屋久左衛門あたり也。
かきつばた語るも旅のひとつかな
愚句
山路の花の残る笠の香
一笑
朝月夜紙干板に明そめて
万菊
二十四句にて止。
(貞亨5年4月25日付猿雖(惣七)宛書簡)
「ある人」とは伊賀の保川一笑のこと。当時大坂に住んでいた。
芭蕉杜若句碑
杜若語るも旅のひとつ哉 はせを
浦江の杜若は、江戸時代から有名で芭蕉もこの地を訪ね、この句を詠みました。
この句碑は、文化11年俳人三津人が主宰する月夜庵社が建立したものです。
親かとも思ふ夜のあり山の月 三津人
『諸国翁墳記』
に「
杜若塚 摂北浦江了徳院境内 月夜庵三津人社中建之
」とある。
中村浩の『句碑のある風景』(1976年)によれば、了徳院の北にハス飯で知られた「冨竹」という料亭があり、庭に2基の芭蕉句碑があった。
名月や池をめぐりて夜もすがら
天保15年(1844年)、建立。
梅室
書。
この句碑は現在行方不明。
杜若かたるも旅のひとつかな
昭和39年(1964年)5月、北村太源建立。櫛田拙斎書。
この句碑は「ファミール福島」の庭にあるが、蔓草に覆われていた。
芭蕉の句碑
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