このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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牧水歌碑
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磯部温泉

磯部温泉の碓氷川沿いに 竹林の湯宿はやし屋」 がある。


竹林の湯宿はやし屋」に若山牧水の歌碑があった。


芹生ふる沢のながれのほそまりてかすかに落つる音のよろしさ

「若山牧水歌碑について」説明が書いてある。

 上州の山河をこよなく愛した若き天才歌人若山牧水は、43才の短い生涯のうち前後7回にわたって上州の地を訪れている。大正6年、初めて天下の峻険妙義山の登山を思い立ち、やっとその目的を達する事の出来たその時の歌を牧水は次のように詠んでいる。

妙義道たまたま逢へるいちにんのをんな青桑を背負ひ急げり

 大正6年(1917年)6月7日、若山牧水は妙義山の登山を思い立ち、初めて磯部温泉を訪れた。

この時牧水が詠んだ歌の碑が 磯部公園 にある。

牧水が妙義山に登ったのは翌々日の9日である。

 次いでより当林屋旅館に12日間滞在している。牧水はこの間碓氷川畔のせせらぎの旅情を愛し、つれづれになるままに次の歌を当館に残している。

芹生ふる沢のながれのほそまりてかすかに落つる音のよろしさ

いつ建てられたものか、分からない。

 何にしても、いつ建てられたものかわからぬ以上、何番目のものと数えることは出来ないわけだが、それでは他の歌碑も数えられなくなってしまうから、これだけは特別に、仮に戦後最初に建ったものとして第8号の牧水歌碑として数えておくことを赦していただきたい。

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)

 大正8年(1919年)4月15日、上州磯部林屋から奥さんに絵葉書を出している。

 早いものだ。もう今日で5日目になるわけだネ、雑誌はまだなのか知ら、いろいろでゆつくりできぬから、もう3、4日したら歸りたい。

 4月15日で「5日目になる」のだから、「4月11日より当林屋旅館に滞在して」いたわけである。「もう3、4日したら歸りたい。」と書いているが、そういうわけにもいかなかったようだ。

 そして上州最後の旅は、これが最も長く、大正11年信州より金精峠を越えての旅であった。これを牧水コースと呼んで、文学愛好者等に有名であるが、この碓氷川畔の静かな磯部温泉での牧水の消息は、なぜか世の人にあまり知られていない。上州の自然のなかにひょうひょうとさすらう放浪の歌人牧水は、その多感な少年時代より自然を愛し、旅を愛し、人を恋し、素朴で温かい人情に触れて酒を愛し、淋しさを友として郷愁とその傷心の身を旅の出湯にいやしたのであろう。

ちなみに、牧水が磯部温泉で詠んだ主な歌をあげておく。

   その日妙義山に志したれど心変りて磯部に泊る

気まぐれの途中下車して温泉町停車場出れば葉ざくら暗し

眼に立たぬ宿屋さがして温泉町さまよひ行けば河鹿なくなり

湯の町の葉ざくら暗きまがり坂曲り下れば渓川の見ゆ

   このあたりの村すべて蚕を飼へるにや

妙義道たまたま逢へるいちにんのをんな青桑を背負ひ急げり

水無月の朝霧寒み戸をおろしこもれる村を行けば蚕の匂

『さびしき樹木』

   磯部鉱泉にて

とある樹の根にしたたれる苔清水見てをりていまは飽かずもあるかな

川ばたの並木の桜つらなめてけふ散りみだる麦畑のかたに

樫の木の茂りを深み古き葉のきのふもけふも散りて尽きなく

霰なす樫の古葉にうちまじり散りいそぐかも庭のさくらは

芹生ふる沢のながれのほそまりてかすかに落つる音のよろしさ

『黒土』

磯部温泉は当時鉱泉であった。

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