このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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牧水歌碑

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貫山公園
一里塚公園 から黒瀬橋を渡る。


香貫山が見える。


香貫山登口があったので、登ってみる。

香貫山公園に慰霊平和塔がある。


若山牧水の歌碑があった。


香貫山いたゞきに来て吾子とあそび
ひさしくをれば富士はれにけり   牧水

 明治18年(1885年)宮崎県に生まれた歌人若山牧水は、25歳のとき歌集『離別』が歌壇で認められ一躍世に出て、生涯に15の歌集と9,000首に及ぶ調べの美しい名歌を残した。旅を愛し人と自然を愛し、全国各地を訪ねすぐれた紀行文と随筆を著している。

 千本松原に魅せられていた牧水は、大正9年田園生活を求め東京から一家を挙げて香貫山の麓に移り住んだ。海を見たいと長男旅人と香貫山に登り詠んだのがこの歌である。次の2首とともに「香貫山」の題で第13歌集『くろ土』に収められている。沼津へ来て最初に詠んだ歌であろう。

海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ

低山の香貫に登り真上なるそびゆる富士を見つつ時経ぬ

 沼津への永住を決意した牧水は、大正14年千本松原の一角に土地を求め念願の新居を建築した。沼津での牧水は、作歌の傍ら詩歌の総合雑誌『詩歌時代』を発行するなど盛んに文学活動を展開する一方、県が計画した千本松原の松樹伐採に反対する自然保護運動の先頭にも立った。

 酒をこよなく愛した牧水は、胃腸や肝臓を患い、昭和3年9月17日満43歳の若さでこの世を去った。翌4年 千本松原公園 に全国に数多くある牧水歌碑の第1番目となる「幾山河」の歌碑が建てられた。

 「香貫山の歌碑」は、沼津商工会議所観光部会が牧水の三十三回忌の昭和35年9月17日香陵台の一隅に建立した。

 その後の周辺環境の変化に伴い、当クラブが市制80周年記念第1回沼津文学祭に協賛し、牧水没後75周年に当り、現在地に移転した。

     平成15年9月17日

沼津香陵ライオンズクラブ

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、27番目の牧水歌碑である。

香貫山公園から見下ろす。


千本松原が見える。

乗運寺 へ。

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