このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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牧水歌碑

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三嶋大社

国道1号から県道22号三島富士線に入ると、 三嶋大社 がある。


三嶋大社拝殿


三嶋大社の入口に若山牧水の歌碑があった。


のずゑなる三島のまちのあげ花火月夜のそらに散りて消ゆなり

 若山牧水は九州宮崎県に生まれ、大正9年(1920年)三島市の西隣りの沼津市香貫(かぬき)に住み、8月15日に行われた三嶋大社の夏祭りの花火を見て、この歌を詠んだ。

 昭和34年12月

三島民報社建立

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、24番目の牧水歌碑である。

牧水が 沼津 に住んだのは大正9年(1920年)八月中旬のこと。

香貫山

八月中旬、東京を引払ひて駿河沼津在なる楊原村香貫山の麓に移住す、歌を詠み始めたるは九月半ばなりけむか。

海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ

『黒土』

同郷(日向)の友人に宛てた手紙によれば、8月15日である。

 この15日に静岡県の沼津に移轉することになった、永住といふか半永住といふか、出来たら一生東京には帰って来まいと思ってゐる、

歌を詠んだのは翌年の8月15日。

   野末なる三島の町の揚花火月夜の空に散りて消ゆなり

『山桜の歌』

8月13日、牧水は富士裾野に出かけている。

 昨日の朝、あまりに秋めいた空に驚かされてぶらぶらとこの裾野が原に出て來た。日歸りのつもりが、斯んな所にゆき當つて泊つてしまつた。

牧水は昭和2年(1927年)4月9日にも三嶋大社に詣でている。

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