このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
牧水ゆかりの地
高塩背山
喜連川の
お丸山公園
の南に
喜連川神社
がある。
南参道は54段の石段、両側は竹藪、下りたところの右手に社務所、左手に我が家。参道には梅の若葉が連なり、2つの鳥居の先は屋敷町の道路、御用堀といわれる小川が流れている。
高塩幸雄『自然歌人高塩背山
−その歌と人生−
』
喜連川神社の鳥居
奥に「石の鳥居」、その先に石段がある。
「石の鳥居」の左が社務所、右が高塩幸雄の実家である。
高塩幸雄の実家
若山牧水は生涯において3回高塩背山宅を訪ねて宿泊している。
その第1回目は大正4年(1915年)7月19日で、この時のことを紀行文「喜連川」に書いている。
家内には30前後の、静かな婦人がただ独り居られた。上つて座についた時、その阿母さんに呼ばれて9歳
(ここのつ)
と6歳
(むつつ)
ぐらゐのよく似た可愛い娘さんが表れた。そして何か云ひつけられて両人
(ふたり)
競争して戸外へ駆け出した。
若山牧水「喜連川」
子どもは長女ヤスと三女ハルである。この時二男幸雄は1歳。
第2回目は大正10月(1921年)11月3日、
『みなかみ紀行』
の旅を終えて日光から訪れている。
第3回目は大正14年(1925年)9月、揮毫会で訪れる。
この時六女千代は4歳だったという。六女千代が高塩幸雄の生家を守っている。
袋田の滝 へ。
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