このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
一之宮神社
〜芭蕉の句碑〜
石岡神社
から小松町新屋敷甲の一之宮神社まで歩く。
一之宮神社の鳥居
鳥居をくぐると、左手に
芭蕉の句碑
があった。
志保らし幾名やこ末徒ふ久者幾すゝ幾
(しおらしきなやこまつふくはぎすすき)
右は、松尾芭蕉が『奥の細道』の行脚で、加賀の小松(現・石川県小松市)に於いて詠んだ句である。天保14年(1843年)芭蕉百五十年忌にあたり、長谷部映門(小松藩士で代官?1848年没)は、「小松」の名にちなむこの句碑を当時の宝寿寺境内(現在地)に建て、10月12日の時雨忌には追善の句会を催した。
長谷部映門は「静佳発句帖」、その妻菊圃は「四季発句草稿」など多くの作をのこす、江戸時代の伊予を代表する俳人であった。句碑の文字は菊圃の兄で松山藩の儒者日下伯巖
(くさかはくがん)
の揮毫による。
小松町教育委員会
平成16年(2004年)11月1日、小松町は西条市・東予市・丹原町と合併により、西条市小松町となった。
一之宮神社の社殿
宝寿寺は現在JR予讃線の南側にある。
天養山観音院宝寿寺
四国八十八ヶ所
霊場第62番札所
高野山真言宗
の寺である。
2017年、宝寿寺は四国八十八ケ所霊場会からの脱退が認められた。
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