このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

道後公園〜一茶の句碑〜
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愛媛県松山市道後公園に道後公園がある。

道後公園は全体で約8.6ヘクタールあり、外堀を含め南北約350m、東西約300mで、中央部は海抜約70m(比高約30m)の丘陵部となっています。

外周は外堀で囲まれ、丘陵を取り巻くように内掘があります。

明治19年に設置された道後植物園を前身とし、明治21年に県立道後公園となりました。

昭和62年の道後動物園移転に伴い、昭和63年から発掘調査を実施したところ、湯築城跡の遺構や遺物が数多く出土しました。

12年間におよぶ発掘調査によって、遺構として、道路、礎石建物、土塀などが検出され、 遺物として、土師質土器(はじしつどき)、輸入陶磁器などの土器類や武具、建築用具の金属製品など約25万点が出土しています。

湯築城跡の遺構は、全国的にみても、中世守護の城館としてまれに見る良好な状態で残っており、極めて貴重な遺跡であることが明かになりました。

この遺跡を保存・活用するため、復元区域では、武家屋敷や土塁などの復元、出土遺物・遺構の公開を行っており、散策・休憩しながら楽しく歴史を学べる場としております。

道後公園北入口に 一茶の句碑 の句碑があった。


寝ころんで蝶泊らせる外湯哉

『西国紀行』 収録の句。

 一茶 はその師二六庵竹阿の旅日記『其日ぐさ』の跡をたどり、寛政7年(1795年)讃岐から松山に入り、師の友人 栗田樗堂 の二畳庵を訪ね、2月1日に道後を訪れてこの句を詠んだ。

 江戸時代古図(1813年)によると、本湯の西の外れに長円形の池があり「乞食牛馬入込(いりごみ)」とある。いいお湯ではなかったらしい。

松山市教育委員会

『俳句の里 松山』

石造 湯釜


愛媛県指定有形文化財である。

 湯釜は、浴槽内の温泉の湧出口に設置するもので、これは現在の 道後温泉本館 ができた明治27年(1894年)まで使用されていたものである。

 直径166.7センチメートル、高さ157.6センチメートル、花崗岩製である。奈良時代の天平勝宝年間(749〜757)につくられたと伝えられる。

 湯釜上部に置かれた宝珠の「南無阿弥陀仏」の六字名号は、河野通有の依頼により一遍上人が刻んだものと言われている。

 湯釜本体に刻まれた温泉の効験に関する文は、天徳寺の徳応禅師の撰文になるもので、享禄4年(1531年)、河野通直が石工を尾道から招いて刻ませたものである。

松山市教育委員会

展望台に上がっていくと、途中に 芭蕉の句碑 があった。


温泉をむすふ誓も同し石清水

出典は『曽良随行日記』。

元禄2年(1689年)4月19日、 那須温泉 で詠まれた句。

明治26年(1892年)、芭蕉翁二百年回忌に蜂須賀秋岳建立。

展望台の眺望


松山城が見える。

庭園に紅梅が咲いていた。


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