このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』


〜那須温泉神社〜

那須湯本温泉に那須温泉神社がある。

那須湯本温泉には何度も来たが、那須温泉神社にお参りしていない。

 寿永4年(1185年)2月20日、 屋島の合戦 で那須与一が扇の的を射る時、心のうちに祈念した「那須のゆぜん大明神」である。

 南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現・宇都宮・那須のゆぜん大明神、願くはあの扇のまンなか射させてたばせ給へ。

『平家物語』(卷第11)

お正月だし、お参りしなければなるまい。

思いの外長い参道を上っていく。


ふと振り返ると、雑木林の中から冬の太陽が覗いていた。


拝殿前の石段の左に、芭蕉の句碑がある。


湯をむすぶ誓も同じ石清水

 辺りは雪に埋もれている。

 横から見ると老翁が座ったように見えるということで、「翁石」とも呼ばれるそうだ。

 元禄2年(1689年)4月18日(新暦6月5日)、芭蕉と曽良は高久から那須湯元に向かい、 湯本五左衛門 宅に宿泊。

 翌4月19日(新暦6月6日)、芭蕉と曽良は那須温泉神社を拝観。さらに殺生石を訪れた。

この句は『奥の細道』にはない。『曽良随行日記』による。

温泉大明神の相殿に八幡宮を移し奉りて、両神一方に拝まれさせ給ふを、

 湯をむすぶ誓も同じ石清水   翁

  元文3年(1738年)4月19日、 田中千梅 は松島行脚の途上、那須温泉神社を訪れている。

与市の的射し時那須ハ温泉大明神別してハ氏の神正八幡大菩薩と心願せしとかや物語にハ書き傳へぬる感應最モ浅からさりけらし

   神の名も扇に高し桐の花

『松島紀行』

那須温泉神社から 殺生石 を見下ろす。


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