このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2019年の旅日記

合田氏宅〜碑巡り〜
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新居浜市松原町に合田氏宅がある。

合田氏宅の玄関前に柳原極堂の句碑があった。


分け往けば道はありけりすゝき原

昭和30年(1955年)3月21日、建立。

 昭和31年(1956年)9月20日、 柳原極堂 は当時昭和通にあった合田一系邸を訪れ、2泊している。



萩すゝき一系千代子のすがたかな

昭和31年(1956年)、建立。

9月23日、極堂は泉川町松木の本田三嶺子邸に移る。

昭和32年(1957年)10月7日、極堂は90歳で没。

再びは聞けざる声の秋悲し   一系

正岡子規夏目漱石 の二句一基の句碑もあった。


蓬莱の松の茂りや鶴百羽
   子規

釣鐘のうなる許に埜分哉
   漱石

 子規の句は『仰臥漫録 二』(明治三十五年)に収録。

 漱石の句は明治39年(1906年)の句。「東洋城と大森より池上の邊を散歩 八句 十一月」とある。

 松山市の 粟井坂大師堂 の子規と漱石の二句一基の句碑にも刻まれている。

昭和41年(1966年)、子規・漱石生誕100年記念に建立。

裏庭にも歌碑や句碑があった。

野口雨情の歌碑


すめら御国は野中の梅の
咲いた花から春が来る

合田一系の句碑


光栄の御座所
おぼろか月に座し

酒井黙禅 の句碑


伊予路なる殿下に言上花の窓

長谷川かな女 の句碑


羽子板の重きが嬉し突かで立つ

かな女の句「鶴鳴くや桜はやゝに陽をふくみ」を刻んだ碑もあった。



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