このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
松山中学校跡
〜漱石ゆかりの地〜
松山市一番町のNTT西日本愛媛支店前に「松山中学校・勝山学校跡」があった。
明治時代の松山中学校
松山中学校・勝山学校跡
この地は、江戸時代に藩校明教館があり、明治以降は松山の近代教育の拠点となった場所である。
正岡子規
や秋山真之が通った勝山学校や松山中学校は、いずれも明教館から生まれ、様々な変遷を経て現在の
番町小学校
、
松山東高等学校
にその歴史が引き継がれている。
司馬遼太郎著
『坂の上の雲』
(文藝春秋刊)には、小学校にあたる勝山学校で新しい教育が行われていることが評判になり、子規や真之もこの学校で学んだことが描かれている。
漱石ゆかりの松山中学校跡
夏目漱石
は、明治28年、ここで英語を教えました。
名作「坊っちゃん」は、松山中学校を舞台にして書かれました。
四国電電ビル新築にあたり、往時校庭にそびえていたユーカリの一樹をそえて記念碑を建立します。
松山を去るに際し
わかるるや一鳥啼て雲に入る 漱石
昭和37年(1962年)10月23日、日本電信電話公社四国電気通信局建立。
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明治29年(1896年)4月、夏目漱石が熊本
第五高等中学校
へ転任するとき、松風会員近藤我観に贈った別れの句。
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