このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
西林寺
〜正岡子規の句碑〜
松山市高井町に西林寺という寺がある。
西林寺山門
四国八十八か所
の霊場の48番札所である。寺名は清滝山西林寺、本尊は十一面観音菩薩である。
寺伝によると、天平13年(741年)、僧
行基
が開山、もと、堂宇はここから東北の地にあったという。大同2年(807年)、弘法大師が堂宇をこの地に移したと伝えられている。
江戸時代、寂本の著した『四国遍礼霊場記』に、「寺の前に池あり、杖の淵と名づく。むかし大師此所を御杖を以て加持し玉ひければ、水騰して、玉争ひ砕け、練色収まらず。人その端を測る事なし」と書かれている。旱ばつに悩む村人を助けるために、大師が杖で地面を突いたところ、水が湧き出たという伝説で、清水に恵まれた土地という意味で清滝山の山号が付けられたともいわれる。
現在の堂宇は、寛永年間(1624〜1643)に焼失したのを受けて、松山藩松平第四代藩主定直の時代に再建したものである。
松山市教育委員会
門前に
正岡子規の句碑
があった。
秋風や高井のていれぎ三津の鯉
『寒山落木 巻四』
(明治二十八年 秋)所載の句。
この「高井のていれぎ」を詠んだ句は前にもあつたのであるが、これは伊豫節と稱へる俚謡のなかに松山地方の名物として算へられてゐる。その俚謡といふのは「伊豫の名物名所。三津の朝市道後の湯。音に名高き五色素麺。十六日の初櫻。吉田さし桃小かきつばた。高井の郷のていれぎや。紫井戸の片目鮒。薄墨櫻や緋の蕪。ちよいと伊豫絣」それはごく清冽な泉のほとりに生えてをる水草であつて、この前にも言つた通り刺身のつまなぞに用ゐられる。
高浜虚子
『子規句解』
「ていれぎ」は、刺身のツマに欠かせない水草で、市の天然記念物に指定されている。
この句は明治28年の作で、「故郷の蓴鱸
(じゅんろ)
くひたしといひし人もありとか」と前書きしてこの句がある。「蓴鱸」は「蓴羹
(じゅうこう)
・鱸膾
(ろかい)
」の略で、「じゅんさい(蓴)の吸物と、すずき(鱸)のなます」のこと。昔、中国の晋の張翰が、秋風が吹きはじめると、故郷のこの料理が食べたくて退官して郷里に帰った故事による言葉。子規の望郷の心があふれている。子規自筆。昭和38年10月建立。
松山市教育委員会
『俳句の里 松山』
西林寺本堂
真言宗豊山派
の寺である。
大師堂の横に岡田包城の句碑があった。
炎天を来しお遍路尓塩乞磐連
(えんてんをきしおへんろにしおこわれ)
昭和48年(1973年)7月、十六夜句会其他有志建立。
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