このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

八幡神社〜芭蕉の句碑〜
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八幡浜市に八幡神社がある。


總鎭守八幡神社御由緒

一、「八幡濱」、地名の起源である當八幡神社は、神功皇后三韓征討ゆかりの靈蹟に、八幡大神の神靈降臨ましまししを、奈良朝は元正天皇の養老元年(皇紀壹、參七七年)八月拾九日、神主始祖清家貞綱が、矢野郷参拾参箇村の總鎭守として御創建申し上げた神社であります。

二、舊官幣大社 宇佐神宮 は、當神社の分霊を奉載して豐後水道を渡り、大分縣奈多濱に上陸。景勝の地を求めて八年後、現在の宇佐市龜山の聖地に、聖武天皇の神龜貮年に、御鎭座になられた事は、=官幣大社宇佐神宮明細帳、宇佐八幡記、八幡宇佐御託宣集、縣社奈多神社明細帳、八幡奈多宮縁起、等=神祇史研究上最高の文獻史料により、明白であります。

三、日本全國で「八幡大神」を奉齋する神社は、約四萬五千社あります。當神社は其の内で、譽田八幡宮、宇美宮、香椎宮に次いで、「第四番目に古い」神社であります。

四、當神社の社叢境内一帶は、古來歌枕「矢野神山」として世に知られ、最古の歌集萬葉集に柿本人麻呂の歌」(巻壹〇・第貮壹七八番)番を始め、歴代の勅撰和歌集、有名な歌集に數多くの名歌を載せられた名山舊蹟であります。

五、六は省略。

石段の登り口左手に芭蕉の句碑があった。


者るもやゝ介し起調ふ月と梅

出典は 『薦獅子集』 (巴水編)。

 元禄6年(1693年)1月20日、 深川芭蕉庵 から大垣の 木因 に宛てた書簡にある。

万延元年(1860年)、建立。

八幡神社社殿


 八幡神社結婚式場に「春なれや名も無き山も朝霞」の句碑があるはずだったが、八幡神社結婚式場が分からない。

JR予讃線八幡浜駅「特急宇和海」


今日は、とりあえず松山へ。

真言宗 大覚寺派の寺である。



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