このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

天仲寺公園〜美濃派の句碑〜
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吉富町広津の天仲寺公園に美濃派の句碑があるというので、行ってみた。


天仲寺公園に5基の美濃派の句碑があった。

町指定文化財
広津天仲寺境内

史跡 美濃派の句碑

その一しらしらと夜も明きつて原の霜
   耘露坊

その二ものいへは唇寒し秋の風
   芭蕉書

(右側)
文化九年壬申季秋□勤勒
(台石)
孤月庵社中建之

その三(上段) 牛阿る声に鴨たつゆふへ哉
   獅子菴人

住倦いた世とは嘘なり月よ花
   黄リ園

仰向いて分別はなしけふの月
   歸童仙

(下段)つゝ立て杉こゝろなしけさの雪
   雪炊庵

くもる程よい空奪ふ桜かな
   朝暮園

ほろほろと雨の降り出す枯野哉
   道元居

聞きまかふ物なし雲に郭公
   以雪菴

その四飯煙の棚引くひまに梅白し
   孤月庵

その五音ほとは松もこほさすはつ時雨
   遅日庵

耘露坊は孤月庵三世で和井田の澄月庵、本名は矢頭(やず)代八郎(弘化3年没)。

芭蕉は俳諧正風の祖であり、獅子菴人( 各務支考 )は蕉門十哲の一人で美濃派の祖。以下はその流れをくむ門人たちであり、孤月庵一世は岸井手水の中村忠左衛門(文政2年没)、で、中津周辺の俳道の重鎮であった。

吉富町教育委員会

その一


志ら志らと夜も明きつて原の霜

矢頭代八郎(1780〜1846)

   俳号澄月庵湖舟、孤月庵三世。庵号耘露坊白翁。

 和井田の矢頭家の生れ、美濃派の俳諧の宗匠。奥平藩ゆかりの「袋屋」を屋号とし、事業のかたわら俳諧の道を好む。

その二


ものいへば唇寒し秋の風

出典は 『芭蕉庵小文庫』 (史邦編)。

貞亨元年から元禄年間の句。

『蕉翁句集』 (土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。

文化9年(1812年)9月、孤月庵社中建立。

その三


黄リ園(※「リ」=「麗」+「鳥」)仙石廬元坊 。美濃派三世。

歸童仙は 田中五竹坊 。美濃派四世。

雪炊庵は 安田以哉坊 。美濃派五世。

朝暮園は 大野是什坊 。美濃派(以哉派)六世。

道元居は 野村白寿坊 。美濃派(以哉派)七世。

以雪菴は岡崎風盧坊。美濃派(以哉派)八世。

その四


飯煙の棚引くひまに梅白し

その五


音ほどは松もこぼさずはつ時雨

遅日庵は中津藩士山崎源九郎。

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