このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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円徳寺
〜織田信長〜
岐阜市神田町の長良橋通りに
織田信長
公ゆかりの円徳寺がある。
楽市楽座の碑
円徳寺本堂
浄土真宗本願寺派
の寺である。
寿永2年(1183年)長旗の地に法泉寺を創建する。
天文16年(1547年)秋、織田信秀の軍、稲葉城斎藤道三を攻め大敗し、5,000人戦死し合葬して、織田塚と称す。
永禄7年(1564年)、織田信長
稲葉城
に入城し、その本陣の跡(いもあらいの里)四里四方をこの寺に寄進し、その門前に楽市楽座を開く。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の前戦に岐阜城落ち、城主織田秀信この寺に来り住職教了により剃髪し仏門に入り、紀州
高野山
におもむく。
直木三十五の文学碑
秀信の部下は三十人しかゐなくなっていた。午後三時、秀信は城を出て上加納の円徳寺へ入って髪を剃り、十月二十八日高野山へ上ってしまった。
直木三十五
織田信長寄進の梵鐘
芭蕉の句碑があった。
撞く鐘もひゝくやうなり蝉の声
出典は
『笈日記』
。
貞亨5年(1688年)夏、岐阜の稲葉山城跡で詠まれた句。
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