このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2014年

小倉山城跡〜芭蕉の句碑〜
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美濃市泉町に小倉公園がある。


小倉山城跡である。


小倉山城と小倉公園

 小倉公園は、金森長近の築いた小倉山城跡に、明治27年(1894年)公園として開放されました。

 金森長近は、戦国時代、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕え、遂に飛騨の国主大名となり、 高山城 を築いた武将で、 関ヶ原戦 の軍功により、この地方武儀郡を加封され、美濃国に進出すると、ここを本拠地として慶長11年(1606年)小倉山城を築きました。前面の石垣は、築城当時のままで約400年間の風雪に耐えた史跡で、上段が本丸、下段が二の丸、この西が三の丸でした。長近の死後、二代城主・長光が幼死したので、後嗣なく断絶、城は破却されました。

 しかし城下町として長近が新しく造った上有知(こうずち)(旧美濃町)は長近の企画による地場産業(和紙・生糸)の振興と六斎市、長良川港などの開設によって、商業の町として次第に繁昌しました。

 さらに江戸時代には、城跡に尾張藩上有知代官所が、明治・大正時代は山麓に武儀郡役所が置かれて、町は名実共にこの地方の政治・経済の中心として繁栄しました。明治年間は三の丸跡に上有知小学校が設置されて町の文教の中心地でした。

 明治33年、町民の熱望により改めて町有地として小倉山が払い下げられ、町民の憩いの場所として、小倉公園が開設されました。以来100年余、公園近代化への施設改修工事が幾たびか行われ、現代の小倉公園となりました。

 春爛漫の桜と共に、この公園の誇りは豊かな緑と水の自然景観と整備された人工美、そして小倉山城を偲ぶ歴史の面影です。ゆったりと名園の探勝と鑑賞をどうぞ——。

美    濃    市
金森長近公 顕彰会

石段を上ると、冨本稲荷の下に 芭蕉の句碑 があった。


物いへは唇さむし秋の風

出典は 『芭蕉庵小文庫』 (史邦編)。

貞亨元年から元禄年間の句。

『蕉翁句集』 (土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。

 明治36年(1903年)10月12日、芭蕉200年忌に正風会建立。岐阜県令小崎利準書。

駐車場に稲畑汀子の句碑があった。


朧夜の町かどに聞く美濃仁輪加

 俳誌『ホトトギス』創刊100年と美濃及び関両ホトトギス発足10周年を記念して、この句碑を建立す。

 碑面の作品は平成2年4月の美濃祭に遊ばれた『ホトトギス』主宰稲畑汀子先生の1句である。

 この句碑が美濃市及び近隣地域の文化興隆の1拠点となることを記念す。

   平成7年7月

稲畑汀子は高濱年尾の次女、高濱虚子の孫である。

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