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私の旅日記2004年

赤城神社〜碑巡り〜
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富士見温泉 から国道353号を行き、畜産試験場前を左折して赤城道路を上る。


大沼、 覚満淵 を過ぎて、小沼へ。


小沼


標高1,450m。

小沼から大沼の赤城神社へ。


赤城神社


赤城神社は 延喜式内社

昭和45年、旧社地大沼南畔の大洞より現在地に奉遷したそうだ。

赤城神社に志賀直哉文学碑があった。

志賀直哉文学碑


『焚火』の末尾が刻まれているそうだが、よく読めない。

そこで富士見村教育委員会に問い合わせた。

直哉

 舟に乗った。蕨取りの焚火は
もう消えかゝって居た。舟は小
鳥島を廻って、神社の森の方へ
静かに滑って行った。梟の聲が
段々遠くなった。

  志賀直哉 は赤城を愛し、大正4年5月から9月まで康子夫人と赤城山大洞の山小屋に住んだそうだ。

昭和48年(1973年)6月、 富安風生 は志賀直哉文学碑を見ている。

   小鳥島、志賀直哉文学碑 。小品“焚火”の書出し“舟に乗つた
   ……”以下一節を刻せり

舟に乗れば残鶯の声湖をまろぶ

『齢愛し』

志賀直哉文学碑の脇には 万葉集の歌碑 もあった。


上つ毛野くろほの嶺ろのくず葉がたかなしけ児等にいや離り来も

『万葉集』 (巻14)

「くろほの嶺」が赤城山を指すものと考えられている。

2009年5月5日、富士見村は前橋市に編入された。

薗原湖 へ。

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