このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2004年
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赤城神社
〜碑巡り〜
富士見温泉
から国道353号を行き、畜産試験場前を左折して赤城道路を上る。
大沼、
覚満淵
を過ぎて、小沼へ。
小沼
標高1,450m。
小沼から大沼の赤城神社へ。
赤城神社
赤城神社は
延喜式内社
。
昭和45年、旧社地大沼南畔の大洞より現在地に奉遷したそうだ。
赤城神社に志賀直哉文学碑があった。
志賀直哉文学碑
『焚火』の末尾が刻まれているそうだが、よく読めない。
そこで富士見村教育委員会に問い合わせた。
直哉
舟に乗った。蕨取りの焚火は
もう消えかゝって居た。舟は小
鳥島を廻って、神社の森の方へ
静かに滑って行った。梟の聲が
段々遠くなった。
志賀直哉
は赤城を愛し、大正4年5月から9月まで康子夫人と赤城山大洞の山小屋に住んだそうだ。
昭和48年(1973年)6月、
富安風生
は志賀直哉文学碑を見ている。
小鳥島、志賀直哉文学碑 。小品“焚火”の書出し“舟に乗つた
……”以下一節を刻せり
舟に乗れば残鶯の声湖をまろぶ
『齢愛し』
志賀直哉文学碑の脇には
万葉集の歌碑
もあった。
上つ毛野くろほの嶺ろのくず葉がたかなしけ児等にいや離り来も
『万葉集』
(巻14)
「くろほの嶺」が赤城山を指すものと考えられている。
2009年5月5日、富士見村は前橋市に編入された。
薗原湖
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