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私の旅日記
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2007年
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大戸関所跡
〜信州街道〜
国道406号と県道58号中之条吾妻線の分岐点に大戸関所跡がある。
大戸関所跡
大戸関所は信州街道の要点をおさえる重要な関所で、近世初頭の寛永8年(1632年)に設置された。
信州街道は草津温泉を始めとする湯治客、善光寺参り、北信濃の三侯の廻米や武家商人の荷物、各地の産物の輸送路として、中山道を凌ぐ程の活気を呈したともいわれ、江戸と信濃を結ぶ最短距離として重要な街道であった。別名信州道、草津道、善光寺道、大戸廻りとも呼ばれた。
大戸関所は元和9年5月(1623年)将軍秀忠上洛の時に、要害の此の地を守護したのが始まりといわれる。其の後、寛永7年に幕府目付によって、関所見立の巡検があり、翌8年に正式に関所が設けられた。 中山道の脇往還で、
碓氷関所
の裏固めの意味を持っている。 以後230余年の間、幕府代官の管理の下に運営され、明治元年9月に廃止された。関所は通行手形によって往来の旅人を厳重に取締り、関所破り(関所を避けて山越しなどをした者)は重罪として処刑された記録がある。通行の門限は明六つから暮六つ(午前6時から午後6時)までと定められていた。また要害地域を守る関所付の村として、大戸、荻生、本宿の3ヶ村は関所番人をを出し、警備に当たったり、関所破りを監視するなどの負担を義務づけられ、近隣の11ヵ村は関所普請村に充てられていた。
嘉永3年(1850年)12月に関所破りの罪を受け、侠客国定忠治はこの地で処刑された。映画や講談、浪曲でも知られる處である。
吾妻町観光協会・史跡保存会
文化5年(1808年)5月28日、
小林一茶
は大戸を通り、
草津温泉
へ。
四里ばかり山を下りて、長藤村に出る。大戸平村など過ぎて、大戸の入口より右に入つて、橋を渡りて漸
(やうやく)
本道に出でたり。稲田駅に休。峠を越して、すがを
(須賀尾)
駅高橋屋に泊。
麦わらのマンダラもお
(織)
れ筥根山
「草津道の記」
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