このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

谷川温泉〜碑巡り〜
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国道291号線から県道252号水上停車場谷川線に入り、谷川温泉に向かう。


谷川温泉は、 太宰治 の小説「姥捨」ゆかりの地。

県道沿いの右手山側に太宰治の文学碑があった。


小説「姥捨」太宰治

 水上駅に到着したのは、朝の四時である。まだ、暗かった。心配していた雪もたいてい消えていて、駅のもの蔭に薄鼠いろして静かにのこっているだけで、このぶんならば山上の谷川温泉まで歩いて行けるかも知れないと思ったが、それでも大事をとって嘉七は駅前の自動車屋を叩き起した。

昭和57年(1982年)12月、建立。

 小説「姥捨」は「川久保屋」(「川久保屋」を増改築したのが 「旅館たにがわ」 である)の老夫婦と水上温泉郷を舞台とした作品である。

私は未だに読んでない。

太宰治の文学碑の隣に「憲政の井戸跡」があった。

(旧跡)憲政の井戸跡

戦国時代、関東管領上杉憲政が追われ、この谷川温泉から谷川連峰を越えて越後の長尾輝虎のもとへ逃げのびる途中使った井戸がこの山の上にあります。(今は使っておりません)長尾輝虎はその後上杉の姓をもらい 謙信 と名乗りました。

谷川ペンションくるみ村へ下る道に 若山牧水の歌碑 があった。


夕かげる岩山肌にさむざむとひびける滝は三つに折れて懸る

第13歌集『黒土』収録の歌。

 大正7年(1918年)11月16日、牧水は 湯桧曽 から山路を越えて谷川温泉に着いた。

県道沿いの左側に谷川ポケットパーク恋沢ガーデンがある。

谷川連峰マナイタグラの絶景のはずだが、あいにくの曇り空。

ここにも若山牧水の歌碑があった。


谷川と名にこそ負へれこの村に聞ゆるはただ谷川ばかり

谷川温泉 「やど莞山」 の角にも若山牧水の歌碑がある。

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