このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
山口素堂
「甲山記行」
(山口素堂)
元禄8年(1695年)8月11日、山口素堂 は葛飾阿武の草庵を出て故郷の甲斐に赴き、生前母の願いであった
身延
詣を果たす。9月8日、葛飾に帰庵。
それの年の秋甲斐の山ぶみをおもひける。そのゆゑは予が母君いまそかりけるころ身延詣の願ありつれど、道のほどおぼつかなうてともなはざりしくやしさのまゝ、その志をつがんため、また亡妻のふるさとなれば、さすがになつかしくて、葉月十日あまりひとつ日、かつしかの草庵を出、むさしの通を過て
かはくなよわけこし跡はむさしのゝ
月をやどせるそでのしら露
其日は
八王寺
(ママ)
にやどり、十二日の朝
駒木根の宿
を過、小仏峠にて
山窓や江戸を見ひらく露の底
上野原に昼休、これより郡内領なる橋泊。橋の長さ十六間、両方より組出して橋柱なく水際まで三十三尋、水のふかさも三十三ひろあるよしをまうす。
「
郡内領なる橋
」は
猿橋
であろう。
十三日のたそがれに甲斐の府中につく。外舅野田氏をあるじとす。十五夜、
またもみむ秋ももなかの月かげに
のきばの富士の夜のひかりを
はき井の村につきて其夜はふもとの坊にやどりし。元政上人の老母をともなはれし事をうらやみて、
夢にだも母そひゆかばいとせめて
のぼりしかひの山とおもはめ
翌朝山上に至り上人の舎利塔拝て、かひの府より同道の人、
上人の舎利やふんして木々の露
祖師堂
北のかたへ四里のぼりて七面へ詣けるに山上の池不
レ
払して一点のちりなし。此山の神法会の場に美女のかたちに見え給ふよしかたりけるに
よそほひし山のすがたをうつすなる
池のかゝみやかみのみこゝろ
下りには一里ばかりの間松明の火にてふもとの坊に歸りぬ。
翌日甲斐の府へ帰路の吟
蔕
(へた)
おちの柿のおときく深山哉
重九の前一日かつしかの草庵に歸りて
旅ごろも馬蹄のちりや菊かさね
山口素堂
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