このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
大島蓼太ゆかりの地
頼政神社
龍ヶ崎市寺後に頼政神社がある。
頼政神社
治承4年(1180年)5月26日、源頼政は京都
宇治
で平氏に敗れ自害した。享年77。
埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりけり
老木の根本の小さな祠があるだけである。
頼政の首をここに葬ったと伝えられているそうだ。
天明元年(1781年)5月1日、
大島蓼太
は
筑波庵翠兄
と頼政塚を訪れた。
朔日、此ほとの曇、晴わたりたれば、筑波山に思立ぬ。太如・翠兄もともなふ。かつ此町のうら手に源三位頼政の塚あり。
されは此君は武にたけく文に和らきて兩道兼備の大將と云へし。殊更和歌は家集・新古今等にとゝまり、かそふるにいとまあらす。今なを治承のむかし平等院にして扇うち敷れたる俤もまのあたり思ひ出られて涙落るはかりになん
世を宇治と脱けむ君か鎧草
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