このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

白雄の句碑



高浪や象潟ハむしの藻にすだく

 元禄2年(1689年)6月16日、松尾芭蕉は吹浦を出発。雨の中を 象潟 にやってきた。

象潟


 安永2年(1773年)9月4日、 加舎白雄 は酒田から海岸沿いに吹浦を通過、象潟に入る。

高波や象潟は虫の藻にすだく
   東武
しら尾坊

   安永二年秋九月四日

象潟やしほ曇れどもゆふ紅葉
   武陵
烏光

きさかたの岩ね岩ねや秋静
   勢南
斗墨


芭蕉が象潟を訪れてから84年後、白雄36歳の時である。

ふく浦にて

ふくうらやかれふのすゝき海女髪

 見かへる磯(塚)わづかにへだちておきつしほさゐいとしろかれといたぶる波のとゞかざるきさかたの閑なるを感じつゝ桜がもとに春をしおもひ合歓の木かげに其実を拾ふ祖翁の顰を倣ふに似たり。これかれ秋の日やゝ斜に風景なを一瞬に転じて仰(し)つ俯しつなごりある夕なりけり。

たか波や象潟は虫の藻にすだく

加舎白雄 「奥羽紀行」

 享和3年(1803年)9月、 常世田長翠 は蚶満寺に加舎白雄 の句碑を建立。


高浪や象潟ハむしの藻にすだく

 文化元年(1804年)2月、長翠は蚶満寺の白雄句碑前で追悼会を行う。

蚶満寺山門


同年6月4日、長翠は象潟で大地震に遭い、鶴岡に逃れる。

拾いたる命なるべし今日の月

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