このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
白雄の句碑
葉生姜や手にとるからに酒の事
国道18号「戸倉駅入口」交差点に
坂井銘醸株式会社
がある。
坂井銘醸株式会社の裏に
酒造コレクション(HP)
がある。
酒造コレクションは酒蔵と蔵の一部に加舎白雄館、夢二絵画館、酒造資料室、北国街道歴史資料室の四資料室、これに母屋を加えて構成されている。
酒造コレクション母屋
加舎白雄と坂井家
加舎白雄
(1738〜1791)は
与謝蕪村
とならび称される江戸中期の俳人、文学史上“天明中興の五傑”に数えられている。
本名吉春、のち競
(きそお)
。元文3年(1738年)信州上田藩士の次男として江戸深川に出生、多感な青年期を経て明和2年(1765年)江戸の俳人
烏明
に師事、白尾坊昨烏
(さくう)
と称した。 烏明 の師、
白井鳥酔
(ちょうすい)
から芭蕉再認識の論を教示され、明和、安永頃(信州)北陸、京阪、
東北
各地を旅行、安永9年日本橋に春秋庵を開いた。関東から中部地方に約4,000人の門人を育てた。生涯妻帯せず、酒と俳句を愛し、後「日東の青蓮居士(日本の李白)と称された。性格は直情、潔白で、孤高の態度をくずさなかった。唐様の書にすぐれ、能書家として知られる。
明和6年(1769年)8月姨捨山に建てた
芭蕉句碑
は白雄の俳人としての出発を示すもので、戸倉、屋代の門人の出資によった。 当主
坂井鳥奴
(ちょうぬ)
(要右衛門兼甫
(かねすけ)
)もその有力な一人で、明和4年以来白雄に親近、江戸の名家として天下に知られてからも白雄は必ず坂井家を訪れ、酒や蕎麦のもてなしにあずかっている。当家には多くの白雄資料が伝わるのこのような長年の交遊のたまものである。
中庭に白雄の句碑があった。
例によって、句碑の文字は読めない。
以下、坂井銘醸株式会社資料館部長神保和夫氏の説明である。
右の2行が加舎白雄の句。
葉生姜や手にとるからに酒の事
「葉生姜を見るとつい酒のことが頭に浮かび飲みたくなる」ということ。
李白は酒仙と称されたほど酒好きで、杜甫が「李白酒一斗詩百篇」と評している。加舎白雄が「日東の青蓮居士(日本の李白)」と称されたのももっともである。
左の2行に「
滞留中閑なる日 半輪主人にこたふ
(逗留中することが無くすごしているとき、主人から句を読んでほしいと頼まれ、この句を読む)と書かれているそうだ。
白雄の句碑
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください